自ら切り拓いていった美術家としての道筋。
Yohta Matsuokaがアートの世界への扉を開いたのは高校2年のときだった。学校はスポーツ推薦で入学し、バスケットボールで勝負しようとしていた3年間。だが、彼は1年で退部を決意する。「監督が鬼教官みたいな感じで、すべてを指図するような人だったんですよ。楽しくバスケットをやりたかったけど、それができない悔しさがあって。それがすごくイヤだったし、黙って頷くことしかできない周りの部員にも嫌気がさして辞めたんです。そこからですね、体制とか権力に対するアンチな気持ちが芽生えたのは」。
路上で起こるドラマチックな出来事や物事に魅了される。
その後、美術の先生から声をかけられて、高校2年で美術部に入ることになったYohta Matsuoka。それがきっかけで美術系の大学に進学。卒業後はバックパッカーとして世界中を旅して、2004年の帰国をきっかけに美術家としての道を歩むようになる。「旅をしながらスケッチを描いたりしていました。絵を描くのが本当に好きだったし、それくらいしか自分の取り柄はないんです。だからその道でいこうと決意して。ぼくはヒップホップやグラフィティなど、ストリートカルチャーからの影響を大きく受けているので、ライブペイントをやることからスタートしましたね」。
ストリートアートが社会的にも認められるようになってきた。
当時はまだライブペイントというものが世間に浸透していない時代。そんな中でも自ら手と足を動かし、行動をすることで道を切り拓いていった。「それで段々と環境が変わっていって。壁画も描いたりしていたんですけど、そういう仕事の依頼がよく来るようになったんですよ。いまでこそ壁面に直接アートが描かれているオフィスって当たり前のように存在していますけど、当時はそうじゃなかった。それでストリートアートが一般的になってきたんだなと、時代の変化を肌で感じることができたんです」。
モノクロの世界は、夜明け前のイメージ。これから明るくなるような希望的観測。
そうして着実にキャリアを積み重ねていく中で、「JONJON GREEN=ミューラルアート(壁画)」のイメージが強くなっていく。だが、そうした印象に対しても彼は反発したかった。「壁画のアーティストとしてのポジションが築き上がってたんですけど、ちゃんとキャンバスで勝負したいというのがずっとあって。それでコロナ禍になり、社会活動が一時ストップしているときに世界が一瞬だけモノクロに見えたんですよ。それがいまの自分の作風につながっていくんです。モノクロの世界に球体やフルーツなどを配置して、遠目から見ると顔っぽく見える。それは、モノが本来持っている意味や概念を配置によって違うモノに転換できるんじゃないかという発想から生まれたものです。それに毎回挑戦しているんですよ」。
多勢に巻き込まれないでオリジナリティを大事にしたい。
挑戦することを続け、現状に対して抗う心を持つYohta Matsuoka。自身の表現の核となるものを尋ねると、「反骨。自由。進化。」という3つの言葉が返ってきた。「体制に対する反骨心は常に持っておきたいという気持ちがあります。そして、さまざまな制約や制圧がある中でも、ひとりの人間として自由に生きていたい。そうやって日々を過ごしていく中で、美術家としても人としても進化していきたいなと思っています。作品に関しても、当たり前ですけど手を抜きたくない。ずっと絵を描いていると、終わりが見えなくなって『この辺でいいかな』って思うときがあるんです。でも、それって妥協に近くて。そこで諦めずに細かな部分を調整したりすると、『ここだ』というときが来る。そこまで追求して描いた作品はやっぱりいいんですよ」。
ドクターマーチンと重なるYohta Matsuokaのスタイル。
彼が常に心の中に抱いている反骨精神。そのマインドが生まれた背景にはもうひとつ、パンクロックの存在も大きい。「音楽はずっと聴いていて、いろんなことを学びましたね。ヒップホップも好きだったけど、パンクカルチャーにもすごく影響を受けています。体制に抗って音楽を表現していたり、ろくでなしでもかっこいいことができるってすごいじゃないですか。セックス・ピストルズがとにかく大好きで、シド・ヴィシャスに憧れてツンツン頭にして、安全ピンをジャラジャラつけて、ドクターマーチンの8ホールブーツを履いていましたね。人と違う格好して、人と違う歌い方をして、そうやって既存の価値観を壊すところにシドの魅力はあって。その反骨的なスタイルに憧れてました」。
イギリスの人ってみんなパンクな精神を持っているんじゃないか。
固定概念を壊すことは難しい。ただ、しっかりと本質と向き合い、思考を巡らすことで、新たな概念が生まれるのもまた事実。「ドクターマーチンの場合、カルチャーと密接なルーツがちゃんとありながら進化してきて、今ここに辿り着いていると思うんです。これまでロックのイメージとか何々のイメージっていろいろあったと思うんですけど、今自分が履いていて思うんです。価値は自分で決めるもので、カルチャーがどこから始まったとか、どこの国が生んだとかじゃなくて、その物自体に感じる魅力であったり、インスピレーションを大切にしたい。だから、これからは、もっとドクターマーチンと遊んでみたいですね」。
周りにはパンクな人がいなくて、自分だけ履いていた。
ドクターマーチンが反骨の象徴と言われる所以、それはロンドンでパンクロックのムーブメントが起こったときに、当事者たちが8ホールのブーツを履いていたことに起因する。Yohta Matsuokaも、まさに彼らのようになりたくてドクターマーチンを履いていたのだ。「今回久しぶりにドクターマーチンを履きましたけど、やっぱりいいですね。こういうウィングチップのシューズは、むかしは選ばなかったけど、いまはすごく気分。そう思うと、自分の感覚や趣味趣向も変化というか、進化しているんだなと感じます。そして、なによりドクターマーチンを履くことで、あの頃の尖った気持ちが蘇ってくる。ファッションって、そういうところが楽しくて、魅力的でもあるなって思います。当時もシド・ヴィシャスになったつもりで履いていましたから(笑)」
過去から現在に至るまで、ドクターマーチンにはいつまでも変わらないコアがある。だが一方で、さまざまなブランドとコラボレーションをしたりしながらアプローチの角度を変えて、ユニークなアイテムをリリースする柔軟な一面もある。そうしたアティチュードは、常に反骨精神を抱きながら美術家としても、人としてもアップデートを繰り返してきたYohta Matsuokaも同じだ。「固くなっちゃうのは何事においてもイヤで、基本的にふざけていたいんですよ。そうやってリラックスしながら見つけられる新しいアイデアが絶対にあると思うし、そういうのがぼくは好きなんです。もちろん大真面目に表現活動をしてますけど、そんな中でもちょっとふざけたりとか、遊び心を忘れずにやっていきたいですね」
Dr. Martens SHOWROOM TYO|HIDDEN CHAMPION
“YOHTA MATSUOKA(JONJON GREEN)”ART EXHIBITION
Dr. Martens SHOWROOM TYOでは、アートマガジン[HIDDEN CHAMPION]とコラボレーションしたYOHTA MATSUOKA “JONJON GREEN”のアートエキシビションを6/6(月)より開催。YOHTA MATSUOKAの原点が垣間見れる、初公開のラフスケッチ原画や新作を含むキャンバス作品を特別展示。
会期:2022年6月6日(月)〜 7月11日(月)
時間:12:00 – 19:00(火曜日・水曜日 定休)
※入場無料、なお作品の販売はございません。予めご了承ください。
※来場者には、HIDDEN CHAMPIONが制作したYOHTA MATSUOKA(JONJON GREEN)のスペシャルステッカーをプレゼント(なくなり次第終了)
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